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空見る三角窓

難題「夢+努力=現実」の方程式

 高校を卒業し、免許を取った後、半ばワーゲンを所有することをあきらめていた私は、せめて関連物くらいは集めようかと思うようになった。ワーゲンの載った本や、模型などを偶然に見つけたとき買ったりした。ただし、高価なものは避けてだが。
 そして、当時購入した本の中で衝撃が私の頭を駆けめぐった。。それ以降ワーゲンに対する想いはつのり、もうほかの車に気を向けることなどできなくなってしまったのだ。それは生産を終了したと思いこんでいたメキシコ製のワーゲンが今なお生産が続いていたことだ。そしてそれを販売するディーラーもあるということだった。
 新車が手にはいるなら、親を説得する事はできる。しかし、このような車が200万もすると、国産ではもっと実用的なセダンが買えてしまうのだ。この価格がネックだった。
 安いワーゲンを探すとやはり中古車になってしまうのだが、きちんと整備されたワーゲンは簡単には壊れないという話だったので新車より多少安く、程度の良い車を探す事も考えた。

 このころだんだん自分の好きなワーゲンのスタイルができあがっていった。昔は小さい頃よく見た高年式が好きだったのだが、だんだん低年式の小さなテールと斜めのヘッドライト等が魅力的に感じてきた。しかし、そのようなモデルはバッテリーが6Vのため、不安だった。そうなると低年式の面影を残しつつ12V仕様となった’67年式がいい、と思いはじめた。この年式はヘッドライトが垂直になった最初の年であり、ダブルバンパー装着最後の年式でもある。ヘッドライトは仕方がないとしてビンテージモデルの特徴であるダブルバンパーははずせなかったのだ。しかし、この’67年式というのはワーゲンにとって特別な年式であり、非常に貴重で人気のモデルだと知ったのは後のことである。

 さて、自分の求めるワーゲン像が固まりつつあった頃のある日、父親とたまたま2人で用事を足しに行く機会があって、そのときついでによりたいところがある、と強引に本で調べたワーゲンショップにつれていった。最初に目的を告げると絶対行きたがらないのでぎりぎりまで伏せていた。
 初めて目にしたそのお店は小さかったが数台のワーゲンが並んでいた。普段ほどんど見ることが無くなったワーゲンたちがこんなに近くで見られるのは夢のようだった。その後ガレージ内の整備中の車を見せてもらい、メカニックの人にあれこれ質問を浴びせた。この時初めて6Vの低年式を12Vに改造することが出来ることを知り、それならロクナナにこだわる必要など私には全くなくなった。気に入った斜めのヘッドライトの年式を目標に出来る。
 その店では好みの車を探してくれたり、メキシコの新車もとることが出来たので、新車がほしいにしても、低年式がほしいにしても私のニーズに応えてくれそうであった。もう、心の中では「ワーゲンに乗ることはあきらめないぞ!」と決心した。どうやって親を説得するか、そこにかかていた。
 最後に、店内を見学、そこで近いうちに入荷予定の車の写真が貼ってあるのを見た。写真では解りづらかったが、水色の低年式。このとき頭に何かがよぎった。「理想の車だ」
 その日はそのまま店を後にした。自分の求めるスタイルはあの水色のワーゲンだ。あのスタイルを目標にしよう!ワーゲンへの想いは確実に加速していった。

 その2ヶ月後、我が家の車を買い換えることになった。12年間つきあった、想い出をたくさんくれたB11サニー。さすがにあちこちガタがきていた。一時的に親が仕事でハードな使い方をしたのが祟ったのか、走行距離は極端に多くはないものの、エンジンや電装系の不調、ボディーの腐りがでてきた。家の車ということで4枚ドアのセダン(いまならワゴンかもしれない)という訳なので間違ってもワーゲンは購入できない。しかし、何かあることに「ワーゲンにしよう」と口にするようにして、すり込みを開始。当然却下されたが。結局新しい車はB13サニー、AT&4WD仕様となった。
 B11サニーとのお別れの朝、小雨が降る中私はフィルムにその姿を残した。そして、ディーラーの人によって彼は住処を去っていった。いつかは別れが来るものだが、父に「おまえがその気ならこのサニーをおまえに譲ろう」と言われ、そうしなかった自分に少し後悔した。免許を取って1年少々、私の足としても活躍してくれたし、きちっと整備すればまだ十分走ってくれただろう。サニーに乗るよりワーゲンを夢見た私。悲しい想いに浸りながらも、見えなくなるまで後ろ姿をしっかりと眺めた。今までありがとう・・・。
 

 新しいサニーが来たため、旧式なワーゲンの立場は悪くなる。就職の内定をもらった私は、職場が比較的交通の便がいい場所なため、車で通勤する必要は全く無く、新たに自分用の車を必ず買わなければならない理由が無かった。しかし休みの日は親が車を使うということを考えるならば、贅沢ではあるが自分用の車を買うことは許されるであろう。ただし、相変わらずワーゲンは市民権を得てはいなかった。でも私は以前のように他の車種を考えることは一切しなかった。「先代サニーに報いるためにも成し遂げなければならないのだ」
 まだ、難題は解く糸口がみつからないまま年が暮れてゆく・・・。


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